「ボギーとダブルボギーで回れば、100は切れる」
ゴルフを始めてしばらくした頃、ラウンドレッスンのたびに、僕はこの言葉を口酸っぱく言われていました。スコア計算としては、たしかに正しい考え方です。
ただ、僕はこの考え方を信じすぎたせいで、100を切れませんでした。
ダボでいい、と自分に言い聞かせるほど、本来パーが取れるはずの場面でなぜかプレーが雑になり、気づけば素ダボを繰り返している。
楽になるための考え方だったはずなのに、僕の意識はいつの間にか
「どうやってダボで終わらせるか」
にフォーカスしていたのです。
ニギリゴルフという勝負の要素も重なり、守る意識が強くなればなるほど、スコアは逆に崩れていきました。
この経験から僕は、「100切りの考え方には、人によって合う・合わないがある」と強く感じるようになりました。
この記事では、ダボ基準が合わなかった僕の実体験と、「パーを取るには?」と考えるようになってからプレーがどう変わったのかを、正直に書いています。もしあなたが、正しいはずの100切り理論を試しているのになぜかスコアが噛み合わないと感じているなら、この話はきっと無関係ではありません。
| この記事でわかること | 内容 |
|---|---|
| ゴルフで100切りできない原因が技術ではなく思考にあること | ショット力だけではなく、何を基準にプレーを組み立てているかがスコアに強く影響することを整理します。 |
| ダボ基準とパー基準がプレー判断に与える違い | 同じ実力でも、基準の置き方ひとつで選ぶクラブ、狙う場所、集中の仕方が変わる理由を掘り下げます。 |
| 自分に合わない100切りの考え方が逆効果になる理由 | 正しい理論でも、自分の性格や思考の癖とズレると、むしろミスを増やすことがある点を解説します。 |
| スコアを安定させるために基準をどう置くべきか | ダボ基準が向く人、パー基準が向く人の違いを整理しながら、自分に合う基準の探し方をまとめます。 |
ゴルフで簡単に100切りするための考え方に違和感を持った理由
「ボギーとダボでいい」という考え方自体は間違っていない
「ボギーとダブルボギーで回れば100は切れる」という考え方は、スコア計算として見れば、たしかに理にかなっています。18ホールを数字で分解してみれば、全ホールでパーを狙い続けなくても100切りは十分に見えてきますし、ダブルボギーを受け入れることで気持ちが楽になる人がいるのも自然なことです。特にゴルフを始めたばかりの頃は、毎ホール理想通りに打とうとすると苦しくなりやすいので、「多少ミスしても大丈夫ですよ」という意味でこの考え方が助けになる場面はたしかにあります。だから僕も、最初にこの話を聞いたときはとても納得しましたし、理屈としては今でも間違っていないと思っています。
ただ一方で、この考え方はすべてのゴルファーにそのまま当てはまる万能な方法ではない、という点が意外と見落とされがちかなと思います。ここ、気になりますよね。理論として正しいことと、実際に自分のプレーへ落とし込んだときにうまく機能するかどうかは別問題です。僕自身、この考え方を知った当初は「これで気持ちが楽になるはず」と期待していました。ところが、ラウンドで実際に意識すると、安心するどころか、なぜかプレー全体の基準が下がっていく感覚があったんです。本来なら丁寧に考えるべき場面でも、「まあダボでいいか」と無意識に処理するようになり、一打一打の重みが少しずつ薄れていきました。
さらに厄介だったのは、「ダボでいい」という言葉が、単なる保険や安心材料ではなく、実際の行動基準として頭の中に居座ってしまったことです。人は自分が意識している基準に合わせて行動しやすいものです。だからダボを基準にすると、自然とダボで収まるような選択や集中の仕方に寄ってしまうことがある。これが僕には合いませんでした。理屈では正しいのに、ラウンドではなぜか噛み合わない。そのズレこそが、僕がこの100切りの定番理論に最初の違和感を持った理由でした。
ポイント
「正しい理論」と「自分に合う理論」は必ずしも同じではありません。100切りの考え方も、数字として正しいかどうかだけでなく、自分の集中力や判断にどう影響するかまで見たほうがいいですよ。
ダボを意識しすぎたことでプレーが守りに入った
「ダボでいい」と頭で理解したつもりになっていた頃、僕の中ではその言葉が安心材料ではなく、プレー全体の前提条件として強く作用していました。ティーショットの前から「無理をしない」「最悪ダボでいい」と考えるようになると、一見冷静な判断をしているようでいて、実は攻めるべき場面でも必要以上に引いてしまうんです。ドライバーを振り切れるホールでも、なんとなくコンパクトに当てにいく。狙えるラインでも、少しでもリスクが見えるとやめてしまう。本人は慎重にやっているつもりでも、実際には“中途半端な守り”が増えていきました。
このとき問題だったのは、大きなミスを減らすための考え方のはずが、結果としてショットの質まで弱くしていたことです。守りに入るとスイングは小さくなりやすいですし、ボールを打つ前の決断も曖昧になります。すると、振り切れないスイング、狙い切れないアドレス、どっちつかずのライン取りが増えていくんですね。一打一打だけ見ると、そこまで派手な失敗はしていないように見えるかもしれません。でも、プレー全体のリズムとしては確実に崩れていました。「これなら大丈夫」と思って選んだ保守的な選択が、結果として次打を難しくし、寄せづらい位置や中途半端な距離を残してしまうことが増えていったんです。
本来なら「ここはパーを狙える」と考えていい場面でも、無意識のうちに「大叩きしなければOK」という発想へ切り替わってしまう。その小さな意識のズレが積み重なり、プレー全体のテンポや集中の置きどころまで変わっていきました。今振り返ると、100切りを遠ざけていた原因は技術よりも、この“思考の寄り方”にあったように思います。守ること自体が悪いのではなく、守ることが目的になってしまった。そこが僕にとっての大きな落とし穴でした。
注意したいこと
「無理しない」と「引きすぎる」は似ているようで違います。前者は冷静な選択ですが、後者は集中力まで削ってしまうことがあります。あなたが最近、振り切れないショットや曖昧な判断が増えているなら、基準の置き方が守りに傾きすぎているかもしれません。
本来パーが取れる場面で素ダボを連発した実体験
特に強く記憶に残っているのは、条件が整ったホールでのプレーです。ティーショットはフェアウェイにあり、距離的にも無理はない。セカンドショットも刻む必要があるほど難しくなく、冷静に考えればボギーどころかパーまで十分に見える状況でした。普通に考えれば「ここはしっかり組み立てればいいホール」ですよね。でも、当時の僕の頭に先に浮かんでいたのは「無理をしなくていい」「ここはダボでまとめればいい」という考え方でした。これが本当に不思議なくらい、プレーの質に影響したんです。
たとえばセカンドでは、「グリーン近くまで運べば十分」と思うことで狙いがぼんやりする。アプローチでは、「寄せきらなくてもいい」と思ってしまうことで、落としどころへの集中が甘くなる。パットでは、「入らなくても仕方ない」とどこかで逃げ道を作ってしまう。つまり、一打ごとに少しずつ許容の幅を広げていくわけです。もちろん、わざと雑にやっているつもりはありません。でも、基準が低いと、人はその基準に見合った集中しかしなくなるんだなと、あとから振り返って痛感しました。
結果として、大きなミスはしていないのにスコアだけが悪くなる。気づけば、本来ならボギー、うまくいけばパーで終えられたホールが、あっさり素ダボになっている。これが何度も続いたんです。ここでようやく僕は、「ダボでいい」という考え方が自分には保険ではなく、むしろプレーをダボの内容へ引き寄せる言葉になっていると気づきました。問題は技術ではなく、自分に与えていた基準の低さだった。そう理解してからは、1ホールごとの考え方を根本から見直す必要があると感じるようになりました。
| 場面 | 本来の状況 | 当時の頭の中 | 起きやすかった結果 |
|---|---|---|---|
| ティーショット後 | フェアウェイで好位置 | 無理せずダボでいい | 次打の狙いが曖昧になる |
| セカンド | 十分にパーが狙える | とりあえず前へ | 中途半端な距離や位置が残る |
| アプローチ | 寄せワンも見える | 寄らなくても仕方ない | 距離感が甘くなる |
| パット | 入れたい距離 | 2パットで十分 | ライン読みや集中が浅くなる |
ゴルフの先生にラウンドレッスンのたび口酸っぱく言われていた100切りの考え方が、僕には噛み合わなかった
ゴルフを始めた頃、僕はゴルフの先生からラウンドレッスンを中心に教わっていました。その先生が毎回のように繰り返していたのが「100切りまではダボでいい」という言葉です。少しミスが出そうになるたびに、「無理しなくていい」「ダボでまとめれば十分」と言われる。これは教えとしてかなり王道ですし、理屈としても本当に納得できます。大叩きを防ぎ、1ホールごとの失点を抑え、トータルで100を切る。スコアメイクとしてはとても合理的ですよね。だから当時の僕も、この教えを疑う気はありませんでした。
ただ、ラウンドを重ねるうちに、僕の中では少しずつ違和感が膨らんでいきました。言われた通りにプレーしているはずなのに、どうもスコアが安定しない。むしろ、考えれば考えるほどプレーが窮屈になる感覚があったんです。ここ、かなり大きなズレでした。先生の教えは正しい。でも、その正しさがそのまま僕の中でうまく機能している感じがしない。言葉として理解しているのに、ラウンドではしっくりこない。この“正しいのに噛み合わない感じ”がずっと残っていました。
今振り返ると、先生の教えが間違っていたわけではありません。ただ、その考え方が自分の性格や思考の癖と噛み合っていなかったというだけでした。僕はもともと、「このホールでパーを取るにはどう組み立てるか」と考えながらプレーするほうが集中しやすいタイプです。目標が明確なほうが、一打一打の意味を整理しやすい。でも、ダボ基準を強く刷り込まれたことで、本来の思考パターンを自分で抑え込んでしまっていたんですね。その小さなズレが積み重なり、結果として100切りを遠ざけていたのだと思います。ゴルフの教えは、正しさだけでなく、自分との相性もかなり重要なんだと実感した経験でした。
相性の話
指導内容が正しくても、自分の集中の仕方や考え方の癖とズレると結果は出にくいです。教えを疑うというより、「自分はそれでプレーしやすくなるか」を見たほうがいいかなと思います。
ニギリゴルフがメンタルに与えた影響
もう一つ、自分の思考を大きく歪めていたと感じているのがニギリゴルフの存在です。金額は小さくても、勝ち負けがはっきりするだけでラウンド中の意識はかなり変わります。「負けたくない」「ここでミスしたくない」という気持ちが、知らないうちに判断の軸になっていくんです。普段のラウンドなら多少気楽に振れる場面でも、勝負が絡むと一気に守りの気持ちが強くなる。これはニギリをしたことがある人なら、かなり共感しやすい部分かもしれません。
そこに「ダボでいい」という考え方が重なると、思考は一気に守りへ傾きます。攻める理由は消え、失敗しない理由だけが頭に残る。本来なら「ここはパーを狙っていい」と考えられる場面でも、「勝負だから安全に」「ダボで済めば十分」と自分に言い聞かせるようなプレーを選んでいました。一見すると冷静で大人っぽい判断に見えるかもしれませんが、実際には恐れをベースにした選択になっていたんです。恐れが先に立つと、ショットは振り切れず、狙いも曖昧になり、結果としてプレー全体が中途半端になります。
その結果、ショットは中途半端になり、アプローチやパットでもどこか集中しきれない。大きなミスを避けているはずなのに、スコアはじわじわと崩れていく。今振り返ると、ニギリゴルフそのものが悪かったわけではありません。問題は、ダボを基準にした思考と勝負意識が重なったことでした。守る意識が増幅されることで、本来必要だった積極性や決断がさらに失われていたんです。100切り目前で急に守りに入りやすい感覚については、100切り目前でスライスが出る原因を掘り下げた記事も、かなり近い話として参考になるかなと思います。勝負の要素が入るほど、思考の基準はプレーに強く出ます。だからこそ、自分がどんな基準だと崩れやすいかを知っておくことはすごく大事です。
ゴルフで100切りを目指すなら考え方をどう組み立てるべきか
スコアの基準がプレーの選択を決めてしまう
ラウンドを重ねるうちに、僕はあることに気づきました。それは、スコアの基準が、そのままプレーの選択を決めているということです。「ダボでいい」という基準を持っていると、無意識のうちにダボで終わるための選択をしてしまう。安全側を選び、失敗しにくい判断を優先する代わりに、本来必要だった集中力や覚悟が少しずつ薄れていくんです。逆に、「このホールでパーを取るにはどうするか」という基準を持つと、考える内容そのものが変わります。無理に攻めるわけではないのに、一打一打の意味をきちんと考えるようになります。
ここで大事なのは、基準が単なる目標ではなく、実際の選択の土台になっていることです。たとえば同じ残り距離、同じライ、同じ風でも、「ダボでいい」と思っているときと、「パーを取るには」と考えているときでは、選ぶクラブも狙う場所も違ってくることがあります。前者は“とにかく失敗しない”が中心になりやすく、後者は“このホールをどう終えるか”が中心になります。すると、ショットの意味づけが変わるんですね。これは技術の問題ではなく、意思決定の問題です。
僕はこの段階でようやく、「ダボでいい」という考え方が悪いのではなく、自分がどこに基準を置いていたか、その一点が問題だったのだと理解しました。基準が変わると、プレーは思っている以上に変わります。ゴルフで100切りを目指すとき、多くの人はスイングや練習量の話をしがちですが、実際にはラウンド中の基準設定もかなり大きいです。特別なショットがなくても、基準が整理されるだけで判断の迷いが減り、結果としてスコアが安定しやすくなる。僕はそこがかなり大きかったです。
覚えておきたいこと
基準はただの目標ではなく、ショット選択と集中の方向を決める“土台”です。だからこそ、自分にとってちょうどいい基準を置くことがスコアメイクではかなり重要です。
「ダボでいい」より「パーを取るには?」と考えた方が楽だった
ある時から、僕はラウンド中の考え方を意識的に変えるようにしました。「ダボでいい」と自分に言い聞かせる代わりに、「このホールでパーを取るには、どう組み立てるか?」と考えるようにしたんです。最初は少し怖さもありました。パーを意識すると、無理に攻めてしまうのではないか、逆にプレッシャーが強くなるのではないか、そんな不安がありました。でも、実際にやってみると、その印象はかなり違いました。
パーを基準にすると、やるべきことがむしろシンプルになったんです。ティーショットでは「どこに置けば次が楽か」を考える。セカンドでは「グリーンを狙うならどこを外したくないか」「外すならどちらが安全か」を考える。アプローチでは「寄せワンを狙うならどこへ落とすか」、パットでは「この距離をどう打つか」に意識が集まる。つまり、“最悪どうでもいい”という逃げ道が減るぶん、考えるべきことが整理されるんですね。ここ、意外かもしれませんが、僕にはすごく合っていました。
結果として、プレー中の迷いが減り、スコアも安定していきました。ダボ基準のときにあった「これでもいい」「入らなくても仕方ない」という曖昧さがなくなり、その代わりに一打一打へちゃんと意味を持たせられるようになった感覚があります。もちろん、毎ホール本当にパーが取れるわけではありません。でも、基準をパーに置くことで、プレーの質が一段上がったのは間違いありませんでした。僕にとっては、「楽になるために基準を下げる」よりも、「考え方を整理して集中の置き場所を明確にする」ほうが、ずっと楽だったのだと思います。
誤解しやすい点
「パーを取るには?」と考えることは、毎回ピンをデッドに狙うこととは違います。むしろ、どこで無理をしないかを明確にするための考え方です。攻めるというより、整理するための基準と考えるとわかりやすいですよ。
パー基準で考えると無理な攻めが減った理由
「パーを取るにはどうするか」と考えるようになってから、自分でも意外だったのは、無理な攻めが減ったことでした。パー基準というと、積極的にピンを狙う、難しいショットを打つ、強気にいく、というイメージを持たれやすいかもしれません。僕自身も最初はそう思っていました。でも実際には、パー基準だからこそ“やってはいけないこと”がはっきり見えるようになったんです。
たとえば、グリーンを狙える距離にいても、左右が狭くてミスしたら大叩きになりそうな場面がありますよね。ダボ基準のときの僕は、「とりあえず大ミスしなければいい」と考えながらも判断が曖昧で、結果として中途半端なショットを打ちがちでした。でもパー基準にすると、「ここで無理にピンを狙うとパーの可能性が下がる」と考えられるようになります。すると自然と、グリーンセンターや安全サイド、あるいは次打がやさしい位置へ置く選択がしやすくなる。これは守りに見えて、実はパーを取るための現実的な攻め方なんです。
つまり、パー基準は“攻め急ぐ”ための考え方ではなく、“目的から逆算して不要なリスクを切る”ための考え方なんですね。ゴールがはっきりしているぶん、何を捨てるべきかも見えやすい。これが僕にはすごく合っていました。無理な攻めが減った理由は、強気になったからではなく、選択の軸が明確になったからです。結果として大きなミスも減り、1ホールの流れも整いやすくなりました。僕にとってのパー基準は、攻撃的なゴルフの合図ではなく、判断をシンプルに整えるための目印だったんだと思います。
| 考え方 | 起こりやすい思考 | 起こりやすい結果 |
|---|---|---|
| ダボ基準 | 大叩きしなければOK | 判断が曖昧になり、中途半端なプレーが増えることがある |
| パー基準 | パーに必要ないリスクは切る | 狙いが整理され、結果的に無理な攻めが減りやすい |
ダボ基準が合う人とパー基準が合う人の違い
ここまでの話をすると、「結局、どちらが正しいのか?」と感じる人もいるかもしれません。でも実際には、ダボ基準が合う人もいれば、パー基準が合う人もいるというだけの話だと僕は思っています。大事なのは、一般論としてどちらが優れているかではなく、どちらの基準だと自分のプレーが安定するのかを見極めることです。ここを無視して“みんなに効く正解”を探し始めると、僕みたいに理論は理解しているのに結果が噛み合わない、ということが起こりやすいです。
ダボ基準が合うのは、ミスを引きずりやすい人、スコアを意識しすぎて体が固まりやすい人、まずは18ホールを大崩れせずに回りたい人かなと思います。「ダボでいい」と考えることで力が抜け、本来のスイングがしやすくなるなら、その考え方はかなり有効です。一方で、僕のように、基準を下げると集中が切れやすい人、勝負が絡むと守りに入りすぎる人、プレーの組み立てを考えるほうが落ち着く人もいます。こういうタイプにとっては、ダボ基準は安心材料ではなく、判断を曖昧にする要因になりやすいです。
その代わりに、「パーを取るにはどうするか」と考えたほうが、思考が整理され、結果として無理が減り、スコアが安定することがあります。100切りの考え方を全体から見直したいなら、ゴルフで100切りの難易度と近道を整理した記事もあわせて読むと、技術・考え方・スコア配分の全体像がつかみやすいかなと思います。結局のところ、大切なのはどちらの考え方が正しいかではなく、どちらが自分の性格やメンタルに噛み合っているかです。その見極めができると、100切りはかなり現実的になります。
ゴルフで簡単に100切りする近道は自分の思考の癖を知ること
ここまで振り返ってみて、僕が強く感じているのは、100切りに必要だったのは新しい技術や特別な練習法ではなかった、ということです。もちろん技術は大事ですし、まったく関係ないとは言いません。でも、僕にとって大きかったのは、自分がどんな基準でプレーしてしまう人間なのかを理解したことでした。「ダボでいい」と考えると安心するのか。それとも、「パーを取るには?」と考えた方が集中できるのか。この違いは、ラウンドの中で何度も試してみないと、なかなか見えてきません。
僕の場合は、基準を下げることで楽になるタイプではなく、基準を明確にした方が迷いが減り、プレーが安定するタイプでした。それに気づけたことで、ようやく考え方と行動が噛み合うようになった感覚があります。以前は、正しいと言われる理論をそのまま受け入れて、「これでうまくいくはず」と思い込んでいました。でも実際には、理論の正しさと、自分の心の動きに合っているかどうかは別です。ここを見落とすと、どれだけ正しい考え方でもプレーの中でズレてしまいます。
ゴルフで簡単に100切りしたいと思うほど、「正しい考え方」を探したくなりますよね。でも実際には、正解は一つではありません。大切なのは、誰かの成功例をそのまま真似することではなく、その考え方が自分のメンタルや判断にどう影響するかを見極めることです。100切りの近道は、遠回りに見えて、自分の思考の癖を理解すること。今の僕はそう考えていますし、現在も100は安定して切れています。だからこそ、もしあなたが今、理論は理解しているのにスコアが噛み合わないと感じているなら、技術の前に“自分がどんな基準だとプレーしやすいか”を一度見直してみる価値はかなりあると思います。
結論として大事なこと
100切りの近道は、上手い人の考え方をそのままコピーすることではありません。自分がどんな言葉で集中し、どんな基準で崩れるのかを知ることです。そこが見えると、同じ実力でもラウンドの内容はかなり変わります。
ゴルフで簡単に100切りするための考え方を見直した総括
- ボギーとダボ基準は理論上は正しい考え方である
- 正しい考え方でも全員に当てはまるわけではない
- ダボを意識しすぎると行動基準が守りに偏る
- スコア基準は無意識のショット選択に影響する
- 基準を下げると集中力が切れるタイプも存在する
- パーが狙える場面でも基準次第で結果は変わる
- 技術より思考の置きどころがスコアを左右する
- ナイスショット前提の組み立ては100切りを遠ざける
- 計算できる距離を積み重ねる意識が安定につながる
- ゴルフの教えは自分の性格との相性が重要である
- ニギリゴルフは基準の低さを増幅させやすい
- パー基準は無理な攻めを減らす思考整理の軸になる
- ダボ基準が有効なゴルファーも確実に存在する
- どの基準が合うかはラウンドでしか判断できない
- 100切りの近道は自分の思考の癖を理解することである


